ユネスコ世界遺産のカステル・デル・モンテは、今でもその用途が解明されず、謎に満ちた城塞です。「早く生まれすぎた天才」フェデリコ2世によって建てられたこのミステリアスな建物は、イタリア南部の見晴らしの良い丘の上に建っています。モンテ城、デルモンテ城などとも呼ばれるこの城に実際に訪れた内容などを基に、その謎に迫ります。
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カステル・デル・モンテとは?
基本情報(2018年2月調べ)
営業時間
4月-9月=10:15-19:45/10月-3月=9:00-18:30
入場料
7ユーロ(月の初めの日曜日は無料)
駐車場
無料駐車場あり(徒歩3分程度)
ただし、管理のおじさんが1~2ユーロの寄付を求めてきます。日本語で書かれたカードをもって、お願いしにきます。払わなくても法律上問題はありませんが、日本人に悪い印象を持たれてもつまらないので、少しばかりでも払うと良いでしょう。
公式サイト
https://www.gocasteldelmonte.it/guida-turistica/orari-ingresso-e-costo-del-biglietto/
観光所要時間
約1時間
世界の名城25選にも選ばれています
トリップアドバイザー「死ぬまでに行きたい世界の名城25」にも選ばれています。シンデレラ城のモデルとなった、ドイツのノイシュバンシュタイン城やインドのタージマハルなどが並ぶ中でのランクインです。
名前の意味:モンテ城?デルモンテ城?
デルモンテ城、モンテ城との記載もある「カステル・デル・モンテ」。イタリア語で「山の城」という意味ですが、本記事ではイタリア語通りカルテル・デル・モンテと表します。
カステル(Castel)=城
イタリア語で「城」を意味する言葉はカステッロ(Castello)。英語のキャッスル(Castle)とも何となく似ていませんか?城の意味を表す言葉です。
デル(del)=~の
デルは、「~の」を表す デ(de)と、定冠詞 イル(il)がくっついた言葉です。英語でいう “of the”です。イルは、革製品ブランドのイル・ビゾンテなどにも入っていますね。
モンテ(monte)=山
モンテは、イタリア語で「山」です。英語のmountainの前半と何となく似ていますね。
フェデリコ2世が建設を依頼
「早く生まれすぎた」神聖ローマ皇帝、フェデリコ2世(フリードリヒ2世、詳しくはWikipedia「フリードリヒ2世」)が、1240年に建てた城です。1996年にユネスコ世界文化遺産に指定されており、1ユーロセント硬貨の裏面(Google画像検索「1cent castel del monte」)にもなっています。
この城の用途については、その立地や構造から様々な解釈があり、”例外の城”として学者たちの大きな関心を集めています(1)。
カステル・デル・モンテの場所
南イタリアに位置
カステル・デル・モンテは南イタリア・プーリア州に位置します。その立地から、この城の利用目的は宗教的な理由や軍事上の理由があったのではないかとも考えられています。
近隣には洞窟住居の世界遺産マテーラや、とんがり屋根のトゥルッリで有名なアルベロベッロなどの観光地もあります。このエリアの玄関口バーリを起点に、レンタカーであわせて周るのが簡単です。マテーラから車で約1時間半、バーリから車で約1時間の距離です。
例えば、マテーラに宿泊した翌日の午前中にマテーラ観光、午後に車でカステル・デル・モンテに移動して観光、その後バーリへ移動し、バーリ空港発の夜のフライトに乗る・・などといったアレンジができます。
マテーラの洞窟教会については、日本人大歓迎!マテーラ・サッシを深く知る洞窟教会と洞窟住居でご紹介しています。
バーリでのレンタカーに関しては、【Goldcar@バーリ空港】現地で思わぬ追加料金!対応にも閉口、要注意!をご覧ください。
宗教上の立地?
カステル・デル・モンテは、イタリア南部・プーリア州に位置します。なんと、当時のキリスト教の拠点であるシャルトルとイスラムの中心メッカとの2点を結ぶ直線上の地点に立地(Wikipedia カステル・デル・モンテ)しており、建立場所の選定には、なんらか宗教上の理由があったのではないかとも思ってしまいます。
軍事のための見晴らし?
一方、カステル・デル・モンテは平野にぽつんとある小高い丘の上にそびえており、遠く地中海まで見渡せます。この広い視界は、軍事上大きな利点になったと思われます。
カステル・デル・モンテの構造
「8」にこだわった作り
八角形の周囲に八角形の塔が八本付属している形は、神秘的なものを感じさせます。
内部には八角形の中庭があり、なんと春分・秋分の日の正午には、建物の影が中庭の床の辺にぴったり一致するそう。天文学的な意味や宗教上の理由がありそうな構造ですが、その本当の理由はまだ明らかになっていません。
軍事には使えない構造
見晴らしの良い立地や、銃を構えるスリット上の窓がある一方で、次の特徴から軍事には適さなかったとも解釈されています。
- 堀や狭間、石落としなど、敵を迎え撃つ構造の欠如(1)
- 逆向き階段(上ってくる敵が利き手の右手で攻撃しやすい)
フェデリコ風建築の特徴
城内部の部屋をつなぐ扉は、すべて表側は趣向を凝らして飾り付けされており、裏側は装飾のないシンプルな状態になっています。アラブ伝統の寺院でも見られる手法であるとのこと(1)で、フェデリコ2世の素養の広さを感じさせます。
ある人が寺院に入ると、それは浄化に向けて、また真実と美に向けた確立の旅が始まる。もしそれを途中でやめてしまったり、引き返したりしても、後ろで見るものは何もない裸の扉のみである(1)。
バスルーム
体の衛生に特に気を遣っていたフェデリコ2世は、城の中にしっかりとバスルームを残しています。
教皇の大きな憤りを買いながら、祈りを捧げるための日曜日さえも王は習慣をまったく放棄しなった(1)。
まとめ
宗教上の建物なのか、天文学のためのものか、あるいは軍事目的だったのか。謎に満ちたカステル・デル・モンテは、しかしその構造から、フェデリコ2世の文化の広さ、多様さが垣間見えます。世界の城25選にも選ばれており、近郊のマテーラ観光と組み合わせるのも最適なカステル・デル・モンテに訪れ、建設当時のイタリアに思いを馳せてみてください。
参考文献
(1) Michela Tocci, Girovagando in Puglia, GELSOROSSO Srl., カステル・デル・モンテの発見, 2010, 豊 博江 訳.
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